望月和子先生プロフィール

望月基金の創設者である大阪大学名誉教授の故望月和子先生は、1928年8月7日に仙台でお生まれになりました。

1931年に関西に移られ、1949年に奈良女子高等師範学校理科をご卒業後、1950年に旧制最後の学生として大阪大学理学部物理学科に入学され、1953年3月に同学科を卒業されました。その後、大阪大学理学部物理学科助手に就任され、1959年に「固体水素及び固体重水素のオルソ・パラ転換」に関する一連のご研究により、理論物理学の分野では女性としては国内初の理学博士を取得されました。

1964年には創設間もない大阪大学基礎工学部材料工学科の永宮健夫研究室の助教授に着任され、さらに、1985年には、大阪大学で最初の女性教授に就任されました。

望月和子先生のご研究テーマは、物質の磁性に止まらず、固体の構造相転移、格子振動、電子格子相互作用、超伝導と非常に幅広く、物性物理学の進展に多大なご貢献をなされました。これらのご功績により1962年には、朝日文化賞を共同受賞され、また、1972年には、服部報公賞を受賞されました。

1992年に大阪大学をご退職後も信州大学教授(1992年−1994年)、岡山理科大学教授(1994年−2000年)としてご研究と後進のご指導を続けられました。さらに、2004年4月1日からは奈良女子大学理事(非常勤)として同大学の運営に尽力されました。

望月和子先生は、スタンフォード大学に留学されたご経験から、第一級の研究者として成長するためには若いときから積極的に海外に出かけて、外国人にも広く認められる優れた仕事をしなければならないという強い思いを持っておられ、若手研究者の国際会議出席を助成する目的で私財2千万円を2002年に湯川記念財団に寄付されました。これを受けて湯川記念財団に「望月基金」が設けられました。その後、望月基金の運営委員としてご自身も派遣者の選考にあたられるとともに、自らも最先端のご研究を進められ、毎年のように国際会議に出席、発表されるなど、社会貢献のみならず研究の上でも活躍されましたが、2007年2月22日午後6時50分、急性硬膜下血腫の為、急逝されました。